貨幣の誕生と「知」の爆発

養老思想から読み解くブッダの教え

② 2500年前に「知」の大爆発が起こる

現代人になってからまだ20万年-2500年余り前に貨幣を発明

 養老先生によると現代人たるホモ・サピエンスが登場して20万年という。
洞窟に住んでいた人類は道具を操り、言語も発する様になった。
そして、人類最大の「脳内虚構」の発明は「貨幣」となる。
人類は2500年余り前に、貨幣を誕生させてすぐにカネがモノを言う世の中になり今日に至る。
自然界には、同じ重さの石はあっても、本質的に「同じもの」は二つと存在しない。
しかし、脳が「これは100円の価値がある」と定義した瞬間、本来バラバラで多様な現実が、数字という単一の物差しに置き換えられてしまう。
この「生身の手応え」を「数字」に売り渡す暴走は、ネットやスマホの登場によって加速した。
このわずか30年で、私たちはついに、肉体を置き去りにしたままバーチャルな虚構の中だけで完結できる「脳化の極致」に到達してしまったことになる。

貨幣を誕生させた人類は脳の暴走を始める

 この貨幣の誕生で、人類の脳は一気に暴走を始め、”今だけ、金だけ、自分だけ”の世の中は一瞬にして起こったようだ。
中村元先生によると、「それまでは、物々交換でして、殊に「牛何頭をもって交換する」なんていうことも、ヴェーダ聖典には出てくるわけです。」
また、中村元先生は、「この頃、人はお金を大切にして、お金がものをいうと。もし人が富んでいるならば、富裕であるならば、その人は最下層の隷民(れいみん)―低い身分の出身であろうとも、そこへ王族でも、バラモンでも、庶民でも、労働する人々でも、みんな集まって来て、それでお辞儀をして、彼のために気に入るような言葉を述べる」と。「なんと今の時代を当て擦(こす)るような文句があるんですね。」(NHKこころの時代)
貨幣経済が進展すると、交通便利なところに人々が住みつくので都市が現れた。
都市を中心として新しい文明が展開され、私工業も発達するので商業も盛んになったようだ。

「貨幣」という情報の暴力-脳化社会のはじまり

 養老先生は、解剖学者としての視点(身体性)と、現代社会への批評(脳化社会)という軸から、この歴史的転換点と釈尊(ブッダ)の教えを非常にユニークに分析しており、貨幣の誕生を「脳が生み出した究極の抽象概念」と捉えている。

具体から抽象へ

 かつての人々は、手で触れられる「モノ」や「身体的な労働」の中に生きていたが、貨幣の登場により、あらゆる価値が「数字」という共通の尺度に置き換わった。

「意味」の喪失

 貨幣は交換を便利にしたが、同時に万物を一律に扱うため、個別の命や物の「かけがえのなさ」を削ぎ落とした。
これを脳が暴走し身体を支配し始める「脳化社会」の始まりと見ている。

世の中が大きく変わった時代-たくさんの思想家が現れる

 貨幣の誕生で、社会的な変化が起きるとたくさんの主義主張を唱えるものが出現した様だ。
 「社会的な変化に対応しまして、新しい思想も現れ出まして、従来の観念からみたら、とんでもないような思想ですね。
 例えば快楽主義であるとか、道徳否定主義であるとか、それから運命論であるとか、あるいは反対に世の中は偶然であまり考える必要はないんだというような、そういう意見を述べる人もいました。まあいろいろの新しい思想家が現れた。」(中村元/NHKこころの時代)

釈尊が登場する

 貨幣が誕生した2500年余り前、つまり紀元前500年前後で、中国やギリシャ、インドなど世界中で、「知の大爆発」が起こっている。
ソクラテスが生まれ、孔子、老子が生まれ、釈尊が生まれ、およそ人間が考えることの全てがこの時代に登場しているという。
 貨幣を発明したことでそれまでの物々交換から貨幣を用いた等価交換がはじまり便利にはなったが、代わりに金がモノを言う時代もはじまり、人々はこれまでにない様々な主義主張を唱えだし、生きるすべを失ったことで、人の道を説く知の巨人たちが登場することになる。

 都市化と「感覚」の遮断 養老先生の視点

貨幣経済が進むと都市が形成された。
養老先生によれば、都市とは「脳が作り出した、意味のあるものだけの空間」のこと。

予測不可能な自然の排除

 貨幣によって予測可能な経済圏ができると、死や老い、虫、汚れといった「予測不可能な身体的事実」が邪魔なものとして排除される。

生き方の迷子

 自然(身体)から切り離され、脳の中の論理(貨幣・数字)だけで生きようとするため、人は「自分が何者で、どう生きればいいのか」という根源的な感覚を見失ったのだと分析している。

釈尊の教え:身体性への回帰

 こうした「脳化」が進んだ時代に登場した釈尊について、養老先生は「徹底したリアリスト(現実主義者)」として評価している。

「自分」という執着からの解放

脳は「自分は不変である」という定義(意識)を作りたがるが、釈尊は「諸行無常(すべては移ろう)」と説た。これは、絶えず細胞が入れ替わる生物学的な身体の事実に即した考え方そのもの。

感覚の重要性

 釈尊が重視した「正念(正しい気づき)」(これは現代で言うマインドフルネスにあたる)などは、脳の空想ではなく、今ここにある身体感覚に意識を戻す作業のことだ。
これは、わかりづらいかも知れないが、要するに執着(囚われる心)を捨てろということで、現代人は全てが脳(意識)でものごとを捉えてしまっている。
スマホ社会の現在では、その時の食事ニューまでスマホに尋ねる始末だ。
本来、身体性が機能していれば、腹が空き、今こんなものを食べたい、という感覚が起こるものだ。
体調不良も同じで、自分がいま熱がある、痛みがある、という感覚すら麻痺している人が大勢いるとされる。
悪化してはじめて、診察に訪れても、どこがどう調子悪いのかすら十分に伝えられないのだという。
 養老先生は、これを「脳に振り回され、身体を忘れた現代人」への処方箋としても有効だと見ている。

ここまで、見て来たように、人類は貨幣を誕生させた瞬間に「脳の暴走」が起こり、それから今日まで収まることを知らずに突っ走って来たことになる。


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