猫は人生の”ものさし” 養老先生指南

釈尊の教えは思想

㉖ 人間が猫を愛する理由

猫を通して自分の日々の暮らしが見えて来る

 前稿「アロハ(ALOHA)」では、アロハには挨拶以外にもたくさんの深い意味があることを書いた。
 その中で「古代ポリネシアでは、挨拶する時にお互いの額と鼻を合わせ、鼻から大きく息を吸う事で息を交換し合い、お互いがその瞬間にそこに出逢った事を喜び、互いの生命の尊さを確認し讃え合ったとされ、まさに魂から純粋なる愛を交換する事が挨拶だったと伝わる。」を取り挙げたが、書き終えた後にふと、これって猫が挨拶するときもうそうだよなぁ…と気が付いた。


古代のポリネシア人に限らず人類は言語を持つまではこういう挨拶だったのかも知れないと思っていたが、なんと現在もハワイはじめポリネシアのみなさんは鼻をつけて息を吸う挨拶をしているという。

猫が思い出させてくれる「自己」や「個性」

 昔の漫画に「いなかっぺ大将」という川崎のぼる氏による少年漫画作品があるが、そこに登場するのが青森から上京して来た少年、大ちゃんこと風大左衛門とその師匠であるニャンコ先生だ。
 また、藤子不二雄氏の作品ドラえもんも猫が主人公で、両作品ともに作者が猫との生活からの気づきで描いたと言われる。
それほど、猫から学ぶことが多く、猫を通して自分の日々の暮らしを測る大切なものさしだと気づかせてくれる。


 ブログ筆者の私も三毛猫を保護してから早や12年も一緒に暮らしているが、奮闘努力の甲斐もなく未だ下僕に成り切れずに時にはイラっとすることも多々あるので、三毛猫師匠と呼び下僕の修行の日々を送っている。
 これまで接してきた猫たちと違い、三毛猫様の特徴らしくとにかく自己主張が強く、一度覚えたら毎日それをしてくれるものだと思い込み待っているから毎日どんどんやることが増えるので困ったもんだ。私が変わらない限りこの問題は解決しないのだが、まだまだ私の脳はそこまで変わっていない…

養老孟司先生が語る、人間が猫を愛する理由

猫の魅力について 

「brutus(2021.2.21)」から一部引用しながら見ていきたい。

【養老】「まず最初に挙げられるのは、見た目の幼児性。体も顔も丸っこく、目もぱっちりしてあどけない。そういう身体的特徴が大人になっても保たれます。
特に猫は、目が顔の前面に寄った両眼視で、両目で物を見ています。これはサル科の動物に多い特徴で、ほかの動物、例えばウサギやニワトリなどは、両方の目の視界はほとんど重なりません。
つまり、人間が人間の顔を表現する方法が、猫にはそのまま使える。『不機嫌そうだな』とか『考えごとしてるのか?』とか、人間になぞらえやすいんだね。」

行動にも幼児性を残している

【養老】「猫が両手を交互に動かして、お乳を飲むような行動をすることがあるでしょう。ペットとして飼ってきた歴史の間に、猫の幼児性を維持するように選んできたんでしょうね。」

姿形と大きさ

【養老】「姿形に加えてサイズもちょうどいいんです。そもそもネコ科は動物として完成された体型をしています。跳躍力なんかを考えれば分かるように、機能的によく出来ているんです。でも、同じ猫の形をしていても、あれ以上でかくなったらライオン。かわいいっていうより怖い(笑)。」

サルも人間の子供も猫に魅了される

【養老】「僕は以前、サルを飼っていたことがあるんです。同じ頃に仔猫を飼いはじめたら、サルが仔猫を大好きで、抱きしめちゃうんだよ。仔猫はもちろんギャーッと鳴いて嫌がってたけど。
子供もサルと同じように、猫にうわっと抱きついちゃうでしょう。サルや子供でさえ本能的にかわいいと思う要素が、猫には備わっているんです。」

人間は猫の前で完全な個人である

【養老】「社会的な視点から言うならば、今のペットブームの背景にあるのは、動物はしゃべらないということ。僕たちが生きている社会は言葉が多すぎるんだよ。それぞれが言葉の意図を量ることをひたすら続けてさ。
一方、動物との付き合いは、行動から推し量ることのみです。だから、動物と向き合うことで、人間は付き合いの原点に戻ったような感覚になるんじゃないかな。仕草や行動で分かる、って長年連れ添った夫婦みたいだけど(笑)
ブームとは常に補完関係があって発生するもの。今の社会に欠けている付き合いが、動物とならば可能なんですよ。」

 要するに人間社会で我々に欠乏しているものが猫などペットを求める行動になるのだと指摘している。

猫のように生きる

猫はものさし

 養老先生は、愛猫まるちゃんとの毎日をこんなふうに見ていた様だ。「フムフムニュース(2022.01.15)」から引用しながら見ていきたい。

【養老】「猫を飼って問題なのは、やる気がうせるところだね。社会を作って生きる社会性の動物じゃないから、おなかがいっぱいになればゴロっと寝ちゃうし、嫌なやつとは会わない。こちらも働く気がなくなっちゃう(笑)」

 まるちゃんのこの生き方、実は養老先生の理想の生き方だそうで、養老先生は『まるは“ものさし”です』と語ってきたそうだ。
 確かに私も気が付けば、以前の様なあくせくする毎日ではなくなったことは実感している。
なぜにあんなにあれやらなきゃ!これもやらなきゃ!と毎日何かやってないと落ち着かなかったのに、最近はそれがなくなり、なんかやることを忘れてるんじゃないのか?なんであんなにあくせくする毎日だったんだ…と思いを巡らすが思い当たらない。

サルもイヌも人間と同じく社会性の動物

【養老】「サルもイヌも社会性の動物で、人間もそう。だから浮世の義理が大変なんですよ。仲間のことを考えなくちゃならないからね。猫は“本当にそれでいいのか?”と教えてくれる動物なんです」

 世のサラリーマン諸氏は、浮世の義理に縛られて仕事をこなし、嫌な上役や同僚にげんなりしつつ、断ることも出来ず残業をこなし続けている。
 私も勤め人時代は全国を転勤生活、さらには本社内でも毎年の様に部署異動を強いられてきたので、職場が生活の場で家庭は寝る場所にしかなかったのでは?と今にして思う。
 いまの人は仕事を離れてさえ、SNS上のバーチャルの中で会ったこともない人からの評価が気になって、「いいね!」に一喜一憂して暮らしている人も多くいるだろう。
 猫はといえば、そんな浮世の義理や評価とは無縁のまま、生きたいように生きている。
もちろんSNSなど無関係だから、「いいね!」を気にして落ち込むこともない。物欲にも淡泊だ。
養老先生のまるちゃんは、おなかがいっぱいになれば満ち足りて、プイと好きなところへ行ってお昼寝。
飼い主である養老先生への義理やお愛想なんてどこへやら、自分の生き方だけを頑固につらぬく。


【養老】「本当になんにもしないんです、あいつ(笑)。でも生きているだけなら、ああやっても生きていけるんだ、と」

 猫には義理やしがらみ、他者の視線といった社会性動物が縛られている常識がない。常識がないから、生きるうえで大切な本質や、これさえあれば大丈夫という基準を見失うこともない。それゆえ猫は、人間にとってなにが余分なのかを判断する、いい「ものさし」になりうると、養老先生は語っていいる、また、いろいろと考えさせられた。