アロハ(ALOHA) に深い意味がある

釈尊の教えは思想

㉕ アロハは挨拶だけではない。

 前稿の「ハワイ」では、ハワイの人たちから我々人間も自然界の一部だということを学び、日本人の多くが一神教の西洋化を当たり前に取り入れ、すっかり自然を嫌う生き方になっていることを反省させられるものとなった。

アロハ(ALOHA)が持つたくさんの意味

 今回は、ハワイと言えば、「アロハ~」と言うほど、たくさんの人に親しまれているハワイ語の一つアロハについて書いてみたい。
アロハ州観光局のHPを参考に書いて行きたい。

 ハワイをまだ訪れたことがない方でも、アロハ(ALOHA)という言葉は、きっとどこかで耳にしたことがあるはずで、アロハ(ALOHA)と言えば、挨拶やアロハシャツを思い浮かべる方、アロハオエ♪という歌も有名だ。
 私が以前ハワイに住んでいた時に知ったのだが、人々が集まって、ワイワイガヤガヤ呑んでいる場所、その空間もまたアロハなのだそうだ。
 では、そのアロハ(ALOHA)とは何か?となると、その意味までは日本人の多くは知らないかも知れない。

 実は、アロハ(ALOHA)は単に挨拶としてだけでなく、ハワイ文化において非常に大切な意味を持った言葉とされる。

とても短い”Aloha”なのに分解できる

 Aloは、「顔、表面、面前、存在」などの意味で、 Hā には「息(呼吸)」という意味があるとされ、古代ポリネシアでは、挨拶する時にお互いの額と鼻を合わせ、鼻から大きく息を吸う事で息を交換し合い、お互いがその瞬間にそこに出逢った事を喜び、互いの生命の尊さを確認し讃え合ったとされ、まさに魂から純粋なる愛を交換する事が挨拶だったと伝わる。
 また、「Alo」という言葉が持つ「存在」という意味も、人間がそこに持つ体のみでなく、目には見えない霊、精霊、或はその人の持つ影響力(エネルギー)等も含まれているそうだ。
それによって目の前にいる人のみでなく、その人の魂、その人が持つ精霊達やエネルギー迄をもその存在を讃え合い、喜び合う事が、本当の意味での挨拶だったとされることから、日本での「こんにちは」とは随分意味合いが違う。


 だから、Alo(存在)、 oha(喜ばしい)、 hā(人生)という3つの言葉のパートに分けると「喜ばしい人生の共存」というようにも解釈できる様だ。

言葉上のアロハの意味

このシンプルな言葉には沢山の意味があり、ハワイ語の辞書には英語に訳された言葉がざっと30以上もある。

愛、愛情、愛着、思いやり、慈悲、寛容、哀れみ、情け、同情、共感、不憫、親切、感情、好意、慈善、挨拶、敬意を持つ、恋人、愛人、愛する人、最愛の、誠実な、親切な,哀れみ深い,寛大な,愛らしい,大好き、尊敬する,あがめる、こんにちは、さようなら、別れの挨拶、ああ悲しや!などなど。

 こんな沢山の解釈を持つスーパーワード「アロハ(Aloha)」だからこそ、言葉の中にある真意がとても大切で、まさに仏教思想そのものだと思った。
私はこの奥の深い「アロハ(Aloha)」をさらに深めたくなり、さらには仏教との比較文化を研究したくなったので、将来の移住を考えている。

ハワイ州法にもアロハの定義【定義】

厳密にはアロハスピリットの定義とされ、ハワイ州の法律の中でもアロハの本質に則った哲学的な考えのもとに行動する事が定義づけられている。

一部引用するとこのように記されている。

「アロハスピリット」とは人々の心と精神の調和である。そしてアロハスピリットは人々を自分自身に立ち返らせる。人々は良い感情を考え、他者へ良い感情を表さねばならない

ハワイ州法(第5上7項5)

 ハワイ州法の中ではALOHAの5つのアルファベットが表すそれぞれの価値観を記載しているが、その頭文字を組み合わせたものがALOHAだ。

  A          akahai            思いやり、慈悲、優しさ      優しさを持って感じ考える

  L          lōkahi             調和、ハーモニー           調和の中にしっかりと立つ 

  O         ʻoluʻolu            心地よさ                     感情と共に思考のバランスをとる

  H         haʻahaʻa          謙虚さ                       謙虚さを示し謙虚である

  A         ahonui            忍耐強さ                     自立を学ぶ忍耐強さを持つ

「ALOHA」の頭文字に込められた意味

「相手を尊敬し、配慮や愛情を持って共に生きていこうという精神」だとされる。

 これらはネイティブハワイアン達の労働哲学にも通じ、この5つがバランス良く調和している事が日々の生活を豊かに、そして心身の健康へと導いてくれるとされる。
だから、ハワイの人々に接するとその魅力とあたたかさ、そして誠実さを感じるのかも知れない。

 これらのアロハスピリットは、「ハワイの人々の中にあるマインド(心)の調和であり、この調和によって自身を表現しており、このバランスがとれているという事は自分がPono(完璧な存在)である事を知り、自分自身を愛し、だからこそ相手を尊重し、思いやり愛する事が出来る」という事の様だ。

 なんだか、拙稿「5.慈悲の理想 人々の身になって考える」で書いた釈尊の教えそのものに思え、これは仏教そのものだと感じたので、今回取り上げた次第である。

アロハチャント

 ハワイの詩人で、哲学者、言語学者、教育者、スピリチャルガイド、作詞家、著者として知られるピラヒ·パキ(Pilahi Paki  1910-1985)は、これらの5つの言葉を使ってアロハチャントを作ったと言われ、アロハという言葉に込められた哲学的な意味を広めた一人だとされる。

このアロハチャントとともにアロハをこのように説明している。

アロハとはそこにあるもの。私たちが感じることはできても触る事ができないもの。
アロハとは生き方です、なぜならあなたのハートを使うからです。
アロハを引き出す5つの方法は、あなたの目、あなたの言葉、あなたの手、あなたの聴覚、そしてあなたの呼吸です。

 このアロハチャントを聞いて、日蓮が法華経の題目に南無し唱題を提唱したことがすぐに浮かんだ。
法華経の題目「妙法蓮華経」は、サンスクリット語(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)を鳩摩羅什という翻訳者が漢訳した言葉だが、植木雅俊先生がそのサンスクリット語から直接、日本語として現代語訳した意味では、「白蓮華の様に最も優れた正しい教え」になるとされる。
 日本に法華経が伝わってからは、道元と日蓮が重要視し、道元は自分の寝床を妙法蓮華経庵と名付けていた様だ。
 日蓮はそれに「南無」し唱題(チャント)を提唱した。
この南無とは、インドのナーモ、ナマスを漢訳の際に音を当て字にしたもので、インドやネパールの人が挨拶の際にナマステと言うのも、ナマス(敬礼する)+テ(あなた)で、「あなたに敬礼します」という意味になる。
 ナマス、ナーモとは「敬礼する、帰依する、従う」という意味から、日蓮の南無妙法蓮華経とは、「白蓮華の様に最も優れた正しい教えに敬礼します」という意味になる。
 つまり、まったく神秘主義的な呪文ではないのに、新興宗教団体などが祈りとして採用し信仰の実践にしていることになる。
 釈尊は、教えをその国の言葉で伝えなさい、と言ったそうで、それを考えるとハワイの思想が仏教思想と同じであれば、日本語の仏教を広める必要はないのではないかと思う。
ハワイにはアロハチャントがあるのだからそれで良いわけだ。

アロハ‐オエ【Aloha Oe】《わが愛をあなたに、の意》

ハワイ王国の女王リリウオカラニの作と伝えられる。

 ハワイ民謡で有名な、アロハ‐オエ【Aloha Oe】《わが愛をあなたに、の意》は、ハワイ王国の女王リリウオカラニの作と伝えられるが、リリウオカラニ女王はアロハをこのような言葉で表現している。

 アロハとは語られざるものを知り、見えざるものを見、不可知なものを知ることです。

 この様に、ALOHAは、挨拶の言葉でもあるが、人と人の出会いも別れも、「一環して愛が存在する」という正に仏教の慈悲そのものだ。
そして、

アロハのバランスのとれた『私』であることの大切さ、そして私たちは社会の中で一人きりで生きることはできないので、アロハの満ちた人々がさらに繋がっていくことがより良い社会、より良い民族、そしてより良い世界を作っていく

これがハワイを楽園にしている文化の原点だとされる。
私は、アロハの精神を知った時には仏教そのものだと驚きと感動を覚えたものだ。

アロハシャツ誕生の背景

 

1868年(明治元年)に初めて移民として海を渡った「元年者」以降、20世紀初頭まで多くの日本人がハワイへと移住した。
開拓民の彼らのほとんどがサトウキビ畑の労働者として働いたが、当時、農園で着ていた作業着が「パラカ」と呼ばれる開襟シャツ。
ヨーロッパの船員たちが着ていた長袖の上着が起源の、青いチェック柄の木綿地で作られたそのシャツは、日本人にとってなじみの深い絣に風合いが似ていたことも手伝い日系移民に浸透したとされ、これが、現在のアロハシャツの原型になったと言われている。
移住した日本人たちが持参した着物をこのパラカシャツに仕立て直したので、艶やかな柄のものが多くそれが現在のアロハシャツの華やかさになっているのだろう。
アロハシャツの発祥には諸説あるが、決定的な史料も残っておらず今となっては断定することができないが、日系移民の存在が深くかかわっていることは間違いない。