なぜ、現代社会は息苦しいのか――第1章②:貨幣の誕生と「脳」の暴走 ―― “同じ”という幻想

脳化社会に生きる

第1章②:現代の「息苦しさ」の正体 ―― 猫に小判

私は、共に暮らす愛猫に、敬意を込めて「三毛猫師匠」という称号を贈っています。
ある日、師匠に「いつも
いろいろ教えてくれてありがとう」と、副賞のつもりで一万円札を差し出してみたことがあります。
師匠はどうしたか。
一瞬、くんくんと鼻を近づけて匂いを嗅ぎましたが、すぐに「なんだ、食べられないのか」と言わんばかりの冷ややかな目をして、悠々と去って行ってしまいました。
古くから「猫に小判」という言葉がありますが、これは単に「価値がわからない」という話ではありません。
実は、ここには人間と動物を分かつ、決定的な「脳の境界線」が隠されています。

「=(イコール)」という脳の魔法

解剖学者の養老孟司先生は、著書『遺言。』の中で、人間の意識の最大の特徴は、本来は別のものでも「同じ」だと認識することにあると指摘されています。
「『リンゴ』『ナシ』『ミカン』は『クダモノ』だ、『アジ』『イワシ』『カツオ』は『サカナ』だとヒトは考える。これもまた動物から見たらずいぶん乱暴な話である。」(養老孟司著『遺言。』より引用)

三毛猫師匠の世界には「=(イコール)」という概念がありません。
師匠にとって、昨日のカリカリと今日のカリカリは別の体験であり、目の前の一万円札は「一万円分の価値があるもの」ではなく、単なる「カサカサ音がする、食べられない紙切れ」に過ぎないのです。
一方で、人間の脳は「同じ」を作り出す魔法を覚えました。
全く形の違うリンゴを、どちらも「リンゴ」という言葉で括り、さらには「百円」という数字で置き換える。
この「抽象化」こそが、文明を発展させた原動力でした。

貨幣を成立させる「心の理論」

なぜ私たちは、ただの紙切れやデジタル上の数字を、あれほど必死に追い求めるのでしょうか。
そこには、人間だけが持つ「心の理論」という高度な能力が関わっています。
「心の理論」とは、他者の心の状態を推測する能力のことです。
「私がこの紙(貨幣)に価値があると思っているように、目の前の相手も、この紙に価値があると思っているはずだ」
この共通了解があるからこそ、私たちは実体のない「数字」を信じて、物を交換することができるのです。
一般的に4〜5歳頃に芽生えると言われるこの能力が、人類に「貨幣」という最強のシステムをもたらしました。

脳の暴走と、消えていく「身体」

しかし、皮肉にもこの便利な「=(イコール)」の魔法が、現代の私たちの首を絞め始めてしまったのです
脳が「すべては交換可能だ」と思い込むようになると、本来は唯一無二であるはずの「自分の身体」や「自分の時間」さえも、効率や数字で測られるようになってしまいます。
「自分の代わりはいくらでもいる」
「おまえの代わりもいくらでもいる」
「もっと効率よく、もっと数字を稼がなければ」
そうやって「脳(意識)」が作り出したバーチャルな価値観が暴走し、生身の「身体」が悲鳴を上げているのが、今の私たちが感じている「息苦しさ」の正体ではないでしょうか。

脳が作った「同じ(イコール)」という檻の中で、私たちは、決して誰とも交換できないはずの「自分自身の感覚」を、どこかに置き忘れてきてしまったのかもしれません。

一万円札に目もくれず、今この瞬間の日向ぼっこを全力で楽しんでいる三毛猫師匠。
その背中を眺めていると、脳が作り出した「同じ」という幻想から解き放たれるためのヒントが、そこにあるような気がしてならないのです。

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