釈尊が説いた子のつとめ 財産とは自分の身に付いたもの/養老孟司

釈尊の教えは思想

⑰ 子のつとめ

父母への尊敬と不要の義務

 釈尊のいた頃の社会では、家長は世間一般と同じく父親だった様だが、子のつとめとして、父である家長に対する義務あるいは服従を説くというよりは、むしろ父母に対する尊敬、扶養の義務を説いていた様だ。

世に母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。世に修行者を敬うことは楽しい。世にバラモンを敬うことは楽しい。(中村元/文庫本 『ブッダの真理のことば」』
 この父母に対する尊敬、扶養の義務が説かれているということは、 その反面において父母を顧みぬような人々も存在していたことになるので、当時も今も親不孝者はいるということだろう。

己は財豊かであるのに、年老いて衰えた母や父を養わない人―かれを賤しい人であると知れ。
母・父・兄弟・姉妹或いは義母を打ち、またはことばで罵る人―かれを賤しい人であると知れ。
(中村元/文庫本 『ブッダのことば』p124-125)

シンガーラ青年への数え

子が両親に対して守るべき徳目について、同じく『シンガーラ青年への数え』という経典の中で次のように書かれ、子は父母に対して次のような心構えをもって奉仕すべきであるとされた様だ。

(1) われは両親に養われたから、かれらを養おう。
(2) かれらのためになすべきことをしょう
(3) 家系を存続しよう。
(4) 財産相続をしよう。
(5) そうしてまた祖霊に対して適当な時々に供物をあげよう。

中村先生の解説を見てみよう。
【中村】「ここでは単に一般的な道徳上の命令としてではなくて、その「決心」として、その自然な気持の発露としてさらりと述べられていることはおもしろいと思います。ここでちょっと解説を加えますと、
(1)「両親を養おう」とは、

「わたくしはいま年老いた両親を洗足・沐浴・粥や食物を与えて養おう」と決心することであります。

(2) 「かれらのためになすべきことをしよう」とは、
「わたくしは自分の仕事を措いてでも、王の家などに行って、必要となった仕事を父母のためになすことにしょう」と決心することだと説明されています。その意味は恐らく、王の家などの仕事のほうが賃金も高く収入も多いから、そちらへ行って働くほうが父母を養うのに好都合だというのでしょう。

(3)「家系を存続しよう」については、
「両親の財産である田畑・屋敷・黄金などを滅ぼさないで守る人も、また家系を存続するのである。両親(のいずれか)を法を護らぬ家から連れてきて、正統な家に落ち着かせ、家系によって与えられた配給券による食物などを絶えず給する人もまた家系を存続するのである。このことをも含めて言ったのである」と解説されております。

(4)「財産相続をしよう」ということは、次のように説明されております。
「両親は自分の教訓に従わず行ないの悪い子息らに、『かれらは相続するにふさわしくない』と考えて、断固たる処置をとって、子無きこととする(勘当する)。

しかし教訓に従う子らを家の財産の主人とする。(だから) 『わたくしはそのように行ないましょう』という趣意で、財産相続をしようと言ったのである」
当時は、親が品行の悪い子を勘当することも行なわれていたらしい。ですから順調に家督相続をなしうるように、子はつとめなければならない。家が経済活動の単位であった時代には、この要請のなされたのは当然のことであったのでしょう。
子は「家系が永くつづいて、財産を相続するよう」につとめなければならない。巨大な財産を取得した家でも、後世までつづく場合とつづかない場合とがある。「失ったものを探索せず、古くなったものを修繕せず、飲食に節制なく、性質の悪い女または男が支配人となっている家」は永くつづかない。
これに反して「失ったものを探索し、古くなったものを修繕し、飲食に節制あり、戒めをたもつ女または男が支配人となっている家」はいつまでも永くつづく。といわれているのです。」と解説されている。

仏教に先祖崇拝はないが…

そして、興味深いのは、
(5)「供物を捧げる」とは「かれらに功徳の回向を捧げて、三日間など(祖霊に)供物をそなえることである」と書かれいることだ。

そもそも仏教には祖先崇拝という考えがないので、教義の上では直接結びつかないが、当時のインドの農耕社会では、家が続いていて、祖先を崇拝することが行なわれていたと考えられる。
自分たちは祖先の恩恵を受けているのだから祖先に感謝の誠意を捧げるのは当然だという畏敬の念があったのだろう。
いまの日本仏教は先祖崇拝を当たり前の様に取り入れており、彼岸に墓参りなどの儀式をするが、行事として行って自己満足していることはないだろうか。
先祖への感謝であれば日々心に念じるものだと私は考えている。

財産とは自分の身に付いたもの/母が語る-養老孟司

 95歳まで現役の医師をされていた養老孟司先生のお母さまが言われた言葉が「身に付いたものが財産である」ということだそうだす。一部を抜粋し紹介する。
【養老】「私の母は極端な人でしたが、そのことを私が医者になる前に話してくれました。
ハンス・セリエというオーストリアの医学者がいます。皆さんストレスという言葉をご存じだと思いますが、ストレスという言葉は、じつはセリエがつくったんですね。ストレス症候群という言葉をつくりました。
この人はもう古い人ですが、ウィーン生まれで、お父さんはオーストリアの貴族でした。
何が起こったかというと、第一次世界大戦が起こりまして、ご存じのようにオーストリア・ハンガリー帝国というのが分解してしまいます。今の小さなオーストリアになっちゃった。そしてセリエのお父さんは、自分が先祖代々持っていた財産を失います。
それで亡くなるときに、息子に言う。それが、財産とは自分の身に付いたものだ、ということなんです。

お金でもないし、先祖代々土地を持っていたって、そういうことがあれば結局なくなってしまう。だけれども、もし財産と思えるものがあるとすれば、それは墓に持っていけるものだと。
お墓に持っていけるものというのは自分に身に付いたものです。家も持っていけません。土地も持っていけません。お金も持っていけないですが、自分の身に付いた技術は墓に持っていける。だからそれが自分の財産だと。」RESIDENT Online(2023/11/26)