釈尊が説いた男性への戒め

釈尊の教えは思想

⑭ 正しい安定した結婚生活 

夫婦は直角に向かい合うのが正しい(養老孟司)

 一般世間の生活においても正しい安定した結婚生活が進められ、その関係を乱すことを戒められおり、現在となんら変わらないことがわかる。中村先生の解説を見てみる

男性への戒め

おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる、――これは破滅への門である。(中村元/文庫本 『ブッダのことば』p108)
釈尊も遊蕩の生活を戒められていたことがわかる。

女に漏れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るに従って得たものをその度ごとに失う人がいる、これは破滅への門である。(同、p106)
 これは現代社会でも道楽の限りを尽くす言葉として、「飲む、打つ、買う」と言われ、仏典の中でもそれと同じことが指摘されている。2500年経った現在も変わらない人間はバカなのかもしれない。

また、中高年男性が若い女性にうつつを抜かすことを非難している文句がある。
青春を過ぎた男が、ティンバル果のように盛り上った乳房のある若い女を誘き入れて、彼女についての嫉妬から夜も眠られない、――これは破滅への門である。
 現代は男女問わず自分より相当若い子たちに溺れることで様々な社会問題も起きている。
※ティンバル果について調べたがよくとわからず、扁球形の盛り上がった過日ではないかと思われる。

 そこで夫婦の間の倫理というものも説かれるわけだが、
夫婦は親しく睦まじいものでなければならない、子供らは人々の住み家である。妻は最上の友である。(パーリ原典協会本『サンユッタニカーヤ』第1巻p37)

当時の望ましい姿として、中村先生は、当時一般的な牛飼いの家庭生活を通して解説されている。
わが牧婦(牛飼いの妻)は従順であり、貪ることがない。久しくともに住んできたが、わが意に適っている。かの女にいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。
(文庫本『ブッダのことば』p22)

わたしは自活しみずから養うものである。わが子らはみなともに住んで健やかである。彼らにいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。(同、p24)

【中村】「これが当時の家庭の理想であります。そこで結婚生活においては、二人の人格の間における全面的な帰投が要請されるのです。」(中村元/原始仏典を読むp305-306)

夫婦について、世界の格言

『夫婦は直角に向かい合うのが正しい』養老孟司
【養老】夫婦は直角に向かい合うのが正しい、と私はいつも言っているのです。
直角はなぜいいか。夫婦は二人で暮らすのだから、外から見ると、必ず合力になります。

二つのベクトルが直角になっているときに、力はいちばん大きくなります。
いちばん無駄なのは、お互いが向いている方向が正反対なときです。
まったく同じ向きはどうでしょう。これは良いようで、そうでもない。実は長いほうで済んでしまう。力はなかなか足せないので、長いほうだけあればいい。
夫婦に限らず、人間が共同して作業するときはできるだけ直角になるようにするといい。

『愛する―それはお互いに見つめ合うことではなく、いっしょに同じ方向を見つめることである』サン・テグジュペリ

『いっしょになにかを“する”必要なんか少しも感じないで、しかもいっしょに“いる”ということ― これこそ結婚の本質である』オズワルド・シュワルツ

『結婚のロマンチックな幸福をあきらめると、結婚は幸福になる』ラッセル

『結婚の幸福は、些細な心づくしの集積によって得られるのだ。この事実に気づかない夫婦は、不幸な結婚生活を送らなければならないだろう』デール・カーネギー

『夫婦の仲はあまりつづけて一緒にいると冷めやすいし、くっついてばかりいると損なわれやすい』モンテーニュ

『愛はいつも、いっそう深まっていくか、だんだん冷えていくかのどちらかである』フランスの格言

 これら全てが、ロマンチックな結婚生活を期待するより、日頃の相手に対する思いやりの積み重ねが大事だと説いているのではないだろうか。