㉔ 我々も自然であることを忘れた現代人

我々も自然の一部だと自覚すること。
前稿では、自然に触れて失った感覚を取り戻すことが幸せのコツだと養老先生の解説に学んだ。
さて、この「自然」の定義だが、養老先生によると「人間によって手を加えられていないもの」で、海、山、森林、そして、我々人間や動物、虫もそうだ。
海のエネルギーは非常に強い
以前、ハワイに居たころに、ただ海を見ていただけなのにいつも凄く腹が空く不思議な体験をしたが、養老先生の対談「「今は世界が半分になっちゃった」に
【養老】「たとえば海に行くとよくわかるけど、海って非常に強いんですよ。入ってくるものがものすごく多い。海岸に出て2.3時間経つとお腹が減ります。相当なエネルギーを使っているんですね。」
これを読んで、なるほどそうなのか!と自然界のエネルギーに驚きと感動を覚えたものだ。
そもそも「自然」(しぜん)は、人間とは別のものという考えは一神教の西洋思想なのだが、我々日本人は当たり前に受け入れてしまった。

イスラム教やキリスト教などの一神教の西洋思想は、人間は神が作ったもので、予測がつかない自然は迷惑な存在というスタンスなので、神が排除すれと言えば自然破壊を簡単にやってしまうし、殺せと言えば人間も簡単に殺してしまう恐ろしい思想だ。
だから、自然の様に予測のつかないものは悉く嫌い、排除し支配しようとし脳(意識)で考え出した人工物で覆ってしまおうとする。さらには宇宙をも支配できると考えている様だ。
アインシュタインは、「神は存在する。しかし、それは人間が考えた想像上の神ではなく、この地球をも動かしている宇宙の法則のことだ」と残している。そして、「科学をとことん追求するのであれば、東洋の思想とりわけ仏教を学ばなければならない」と言っていたそうだ。
ハワイは、三つの単語で出来ている
♪あ~あ~憧れ~のハワイ航路♪という歌があるが今の若い人は知らないだろう。昭和の歌だが誰もが憧れるハワイを歌ったものだ。ハワイと言えばアロハだがアロハについては次回書きたい。
さて、ハワイは、「Ha・wai・i」3つの単語に分解できて、「Ha」は呼吸や息、いのち、「wai」は水、「i」には魂という意味があると言われている。
常夏なので四季はなく、「夏」と「冬」の2つの季節になる。
雨の少ない乾季(5月~10月)が夏にあたり、比較的雨が多い雨季(11月~4月)が冬に当たるので、この記事を書いている2月頃は山の上では積雪になっており、ハワイ島マウナケア山頂にある日本のすばる望遠鏡周辺で各国の天文台職員がスキーを楽しんでいる。
以前住んでいた時に撮った画像をご覧いただきたい。別の星にいる感覚になる。

世界中から集まって暮らす多民族州のハワイは、毎年5月のメイディーをレイディーと置き換えて祝っているが、これは様々な花で編んだレイをプレゼントし合うイベントで、様々な花は多民族を現しているという。
また、ハワイに行かれた方は気が付かれたと思うが、とにかく自然を大切にしており各所に様々な注意書きや規制があるのが目についたと思う。
ところで、いま自然を大切にしていると書いたが、実はハワイには「自然」(しぜん)を意味する言葉がない。面白い記事を見つけたので紹介したい。
ハワイには「自然」を意味する言葉がない
NHK取材班が知った「深い理由」
毎月第1日曜の午後6時~Eテレで放送中の『ハワイの暮らし 優しい時間』の番組担当者が綴った記事だが、その担当者が取材した現地のミイラニさんご夫妻の夫ブラッドリーさんから聞いた言葉に心を奪われたという。
「ハワイには『自然』を意味する言葉はありません。西洋の感覚では自然と人間を分けて考えますが、ここではみんな『ひとつ』。どうやって分けるんでしょう? だから『自然=nature』を表すハワイの言葉はありません。私たちはみんな一緒なんです。」
この番組担当者も西洋思想を当たり前に受け入れた日本での暮らしに疑問にも思わず毎日暮らして来たのだろう。
人間と反対側の位置にあると見る「自然」(しぜん)とは、西洋思想であって、先住民族がいる国や地域ではハワイと同じ様に別々のものだとは考えていないはずだ。
ハワイは米国州のひとつだが、決して自分たちはアメリカ人だとは思っておらず、日本の様に西洋思想を丸のみしてはいない。

日本も明治中頃までは人間も自然だった
日本も明治の中頃までは、「自然(しぜん)」とは呼ばず、同じ文字で「自然(じねん)」という理解で我々人間も含めた全てが一緒だと理解していた様だ。
身近なものに「自然薯」(じねんじょ)という芋があると言えばご理解いただけるだろうか。
一神教の西洋思想は、人間は神が作ったもので特別であり、それと対峙するのが自然だという捉え方が入り込んでしまった日本人は、いつしか自然(じねん)から人間だけを外して自然(しぜん)と意味と読み方を変えてしまった。

花鳥風月を感じる日本人
虫の音や風の音、波のざわめきなど花鳥風月を理解し聞き分けられるのは、日本人と、このハワイが所属するポリネシア圏の人たちだけだと言われ、日本のお隣、韓国や中国人も西洋人と同じく、それらは単なる雑音にしか聞こえないそうだ。
これは、日本人やポリネシアの人たちが特別なのではなく、島国なので多種多様な虫や鳥、植物がいる中で、自分たち人間もその営みの一つだと理解してきたからとされ、親が子に代々語り聞かせて来たことで、聞き分けられるのだという。
韓国や中国そして西洋ではそういう思想がないので単なる雑音でしかないいわゆる”わび””さび”がない文化の人たちになる。
ところが、最近の日本人家庭では都市化の人工物の中で暮らし、リゾートと言っても人工物のレジャー施設へ足を運び、海や森林に出かけることもなくなっているせいか、親も虫の音すら聞き分けられないので当然子供にも教えることもなく、今の若い人たちは花鳥風月を感覚で理解できない人が多くなったという。
ネコを見て恐れる若いママ

私事だが、数年前に仮住まいで都内のマンションに入ったが、そこでうちの三毛猫師匠が玄関側の窓から外を眺めていると通りかかった母子の子供が、「あっ、猫ちゃん!」と言うと、その若い母親は「どれ?えっ!あれが猫なの?シッポがあんなに長いの!怖いねぇ~!」と子供の手を引いて急いで通り過ぎた。これには驚いたが、この若い母親がどういう育ちをして来たのかも想像がついた。
これが、西洋化にどっぷり浸かって人工物の中で暮らす現在の多くの日本人の現実だろうと思う。
拙稿、「10.同じ「イコール(=)」は平等か?」で書いたが、人間と動物の違いはモノを「同じ」と判断するかどうかだという。
視覚、聴覚、触覚はそれぞれ独立しているが、例えば白板に黒ペンで、「赤」と書いても我々はそれを赤だと認識する。それは視覚で認識した黒文字であっても「赤」を現しているという「同じ」の理解をするからだ。
その白板の黒文字の「赤」を読んで聞かせても、聞いている方も赤だと理解するが動物にはこれがないのだという。
これは、人間が優れていて動物が劣っている訳ではなく、人間の脳(意識)が同じと認識してしまう機能なんだそうだ。感覚で視れば本当は別々のもので違うと思う動物が正しいのは言うまでもない。
「この『同じ』を繰り返すことで、感覚所与(いわゆる第一印象的なもの)の世界から離脱し、一神教に至ることが可能になる。」(養老孟司著/遺言。p87)と言っているが、要するに我々は脳(意識)だけを使っていると五体の感覚を失ってしまい、一神教思想になるということだろう。
そう考えれば、西洋人に対する見方も我々日本人的理解で判断し付き合うと大変なことになるのは当然の話かもしれない。
次回は、「アロハ」について書きたいと考えている。