猫のように生きよう 養老先生指南

釈尊の教えは思想

㉗ 人間だけが持つ「執着心」

 猫のように生きる大切さ(釈尊の説く執着心を捨てる)を養老先生が解説する。
 前拙稿、「猫は”ものさし”」と題して、猫は生きるうえで大切な本質や、これさえあれば大丈夫という基準を見失うこともないく、それゆえ猫は、人間にとってなにが余分なのかを判断する、いい「ものさし」になりうると養老先生の言葉を紹介した。
また、拙稿「2.貨幣経済がはじまる-ネコに小判」で、養老先生は、人間が唯一動物と袂を分けた「同じ」という認識機能を通しても語っているので、そちらも参考にされたい。

今回も引き続き、brutus(2021.2.21)から見ていきたい。

人間だけが持つ「同じ」

【養老】「レヴィ=ストロース(フランスの社会人類学者、民族学者1908年-2009年)は、人類社会は交換から始まると言っています。これを脳の能力から言うと、人類社会は『同じ』という認識から始まった、となる。
サルが死んだウサギを持ってきて、犬はキュウリくわえてやってきて、それを取り替えられれば便利だよね。動物市場(笑)。
それができたなら、動物は生きていくのがすごく楽になる。でも、ウサギとキュウリがイコール、交換可能だという考えは動物にはないから、市場は成り立たない。それを始めたのが人間です。
人間は、どんなに違う顔や体格をした人間であっても『ヒトだ』とカテゴライズできるでしょう。これが『同じ』の能力。突き詰めていくとこれは、交換を媒介するお金につながっていく。でもね、『同じ』と認識する時、感覚の部分では、二者の違いは分かっているんです。それを、社会を成立させるために、脳の中で『同じ』だと認識している。だから行きすぎると、感覚が鈍っていってしまうんですよ。今の社会はそういう状態にあるんだと思います。」

「同じ」は良くも悪くも使われる

 これまでも、脳「意識」と感覚「五感」をはき違えてしまっている現代人について書いてきたが、この「同じ」を認識出来た人間は貨幣を誕生させ等価交換をして金がモノを言う世の中を作り今日に至っている。
中には、金が全てだと言う人もいるようだが、それは単なる思い込みであって、例えばヤンキースの4番を金で買えるかと言えば自ずと答えが出るはずだ。
また、この「同じ」という認識のために、自分の同じは相手も同じだろうと見てしまうので、自分と違うとそこで差別という見方が生まれる。
 釈尊が、金がモノを言う時代に登場し、人間は平等であること、そして人間はどう生きるべきかを説いたのも時代の要請から必然だったのではないかと考える。

絶対音感の動物たち

【養老】「よく『ウチの猫や犬は名前を呼ぶと分かる』って言ったりするけど、あれも違うんだよ。僕が「まる」と呼ぶのと、女房が「まる」と呼ぶのとでは、音程や声色が違う。
絶対音感の彼らにとって、それは違う言葉です。人間の子供だって初めはそうなんだけど、父親に呼ばれた時と母親に呼ばれた時とで違う言葉だと認識していると社会は成り立たないから順応していく。
対して「同じ」の能力がない猫は、いつまでたっても出会うひとりひとりを「人間である」なんて思わない。違う顔をして、違う声を出すんだもの、猫にとってはそれぞれが別の生き物なんです。

つまり、自己とか個性といったものは、動物が相手だといちばんよく理解されるんだよね。猫と相対する時、人間はまったくの個人でしかなくなっています。それが心地いいんですよ。」

 人間も5歳位までは絶対音感だと言われる。それが年齢とともにそれらが薄れてしまうから、その頃までに音楽に触れさせることが大切な理由の様だ。
だから、私の様な大人になってから絶対音感を目指そうとしても難しいのは言うまでもない。
ピアノやギターの様なものは脳の中に同じ機能が備わっているから実態として発明されたと養老先生は指摘している。

猫を見ていると働く気持ちがなくなる

【養老】「猫みたいに、身体感覚のみに忠実だったら当たり前のことが、今は分からなくなっているんですよ。僕なんて、まるを見てると働く気がしなくなるもんな(笑)。いかにいつも無理して動いているかってことですよ。
忙しい自分を反省するのなんてしょっちゅう。好き勝手にやって餌が欲しい時だけ僕のとこに来て鳴く。僕がいなけりゃ「なんだ、いねーのか」って何か別の方法を考える。『あれでいいんだ、生きていくのは!』って。
なんとかなるし、なんとかならなくても知ったこっちゃないというあの感じ。猫だけが持つ、最高の魅力だと思います。
僕は、人間といる時には情緒的な人間ではなく、むしろ感情を抑えるほうです。動物はそれをまるごと出しても平気な相手だから楽なんです。どう思ってるのかは知らないけど、何も気を遣う必要がない。言われていることはきわめて簡単、「餌くれ」だもんね(笑)。喜んで使われてやりますよ。」

 これは、ブログ筆者の私も最近痛感することで、前稿でも書いたが、なぜにあんなにあくせく働いていたのかが今では不思議にさえ思う。

これに関連して、JBpress(2024.2.5)のインタビューでも養老先生は指摘されている。

「足るを知る」ことが大切 

【養老】「『知足』という言葉がありますね、『足るを知る』です。日本では、きわめて封建的だとして潰されてきた言葉です。でも、今こういう世の中になってみると、いいかげんに足るを知ったらどうだろうかと思います。だから僕はいつも『猫を見ろ』と言っているんです。猫は自分の居心地のいいところに行って昼寝しています。それで満足してるくらいでいいように思うんです。」 

「足るを知る」(知足)とは、みずからの分をわきまえてそれ以上のものを求めないこと、分相応のところで満足することを指し、その知足の由来は、老子の一節「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り」(満足していることを知っている者は富み、努力している者は志が有る者といえる)からきているとされる。

「自分にとって本当に必要なものは何か?」それを知り、不必要なものを取り除いていく。必要不可欠で身の丈にあった生活にこそ、満ち足りた毎日、精神の豊かさにつながるヒントがあると、おそらく老子は言ったのだろう。
 釈尊は、それを「執着」と説き、その執着心を取り除くことが最高の境地に到達すると説いたとされる。

 私がSNSで親しくさせていただいている沖縄出身の方から「ネコは居心地が良い場所を見つける天才」だと教えてもらった。
 養老先生は「居心地の悪いところから立ち去ると、居心地のいいところに自然と収まる」と言う。
遠回りな言い方ではあるけれど、これはきっと、同じ意味に違いない。
 老子が言うように、猫のように温かな寝床、大好きなごはんなど、必要不可欠なものを知り、それ以外を取り除けば居心地よくいられるだろう。だが社会性の動物である人間は、そう簡単にはいかない。
 仕事は定時までで十分と考えて残業を断れば幸せでいられるが、ほかの誰かに残業を押し付けることになる。人間の世界では、それでは人づきあいの悪い勝手な人間ということになり、ついには孤独になってしまうだろう。孤独に陥る前に職を失い、生活が立ち行かなくなるのは確実だ。
そう考えるとその様な人間社会でどう生きるべきかよくよく考える必要があるのではないだろうか。
 私の勤め人時代の職場にも、だいたいのところで仕事をしている人が必ずいた。ある意味、その人たちの方が幸せそうに見えたのが不思議に感じたこともあるが、今にして思えば、本来の生き方を多少なりとも知っていたのかも知れない。

無理や我慢をしない

【養老】「だから、無理や我慢をしない、あるいは100%居心地が悪いわけでもない、自分が一番安定していられる状態ってところを見つけるのが大切だけど、それが結構むずかしい。でも女性は男性より見つけやすい気がするよ。それなのにダンナの尻をたたいたり、勉強しろと子どもの尻をたたいたり。それって“ちゃんと生活できているけど、もっと収入がほしいから”だったり、“お隣の子と比べてどうして?”ってことでしょう? どうして猫のように“足るを知って”生きないんだろうと思いますね」

“好きに生きたい”思いを猫に託して

 他人の目なんか気にしない。必要と不必要を見極めて、不必要なものとは距離を取る生き方。それができれば、どんなに心穏やかに生きられることか……。そんな絶妙な距離感の取り方も、実は猫との生活にヒントが隠れていると養老先生は言う。
 猫は非社会性の動物で、人間社会を支配する常識や忖度(そんたく)はみじんも意に介さない。だがペット家族として社会性の動物と同居している以上、その生活や居心地は、人間との関係のうえに成り立っている。
“おなかがいっぱいになればゴロっと寝るし、嫌なやつとは会わない”状態であったとしても、人間とうまくやっていくことができるのなら、そんな猫の人間との距離感、人間とのつきあい方には、世間と自分との距離感、人とのつきあい方のヒントとなるものがきっと存在するはずだ。

不思議を醸し出す猫の魅力

【養老】「猫を飼っているということは、なにかいいところ、惹かれるところがあるからじゃないですか? たとえば、“ああいうふうにいられたら”とか。昨今、猫ブームが言われますが、その理由はここにあると思います。人間は犬を見ても“ものさし”にすることができません。同じ社会性の動物で、同じように社会にがんじがらめにされているから惹かれないんですね。人間は人間の“好きに生きたい”という思いを、猫に託しているんだと思います」

 犬は従順だと考え、特に従えたい性格の人が飼っている傾向があるが、社会性動物だとはいえ、犬も人間社会で生きるために無理しているのではと考えたら、犬も相当のストレスをため込んでることになり気の毒にさえ思う。
犬を飼っている人は従順だからと人間目線のこちら側ばかりで理解しないで、たまには自分が犬だったらどうかと考えられるのも犬のためにも良いかもしれない。

瞬間を大切にしてるか

【養老】「要するに人生そのものが寄り道、でしょう。寄り道なんだから、その瞬間を大事にすべきで、効率的にしても仕方がないということです。」(「足るを知る」生き方が世界を救う)

 最近の人は、何に関しても「意味」持たせてるようとするから仕事に疲れ果ててしまうのだと言う。

「好きに生きたい」と感じたら、猫と暮らそう。人間関係に困り果てたら、猫とつきあってみよう。
そして猫の毎日と生き方を、じっくりと観察するのだ。と養老先生は指摘する。
 猫と暮らす毎日には、もっとよく、もっと気楽に生きるための、ヒントがぎっしりと詰まってると養老孟司先生の言葉からにじみ出ていた。

次回はペットロスについて書きたい。