5歳に起こる「交換」 失敗すると自己中の大人になる

釈尊の教えは思想

㉛ 「同じ」=「交換」=「相手の立場に立つ」

 気が付いていない、五歳時の脳の変化
 拙稿は「貨幣の誕生と「知」の爆発」からスタートした。
人類も動物も「意識」と「感覚(五感)」の生き物だが、人類の方が動物ほど「感覚(五感)」が優れてないから、代わりに「意識」を発達させ人工物の都市を作るなど意識中心の生活を送って来た。
それが行き過ぎた社会が現代で、感覚が機能してないから様々な病んだ世の中を生み出していると養老先生の解説を通して書いた。
 養老先生によると、人類の脳はこの10万年間同じ大きさだからクロマニヨン人の子供が現代の小学校から学べば我々と同じ大人になると言う。
それを考えると、人類は他の動物たちと同じく宇宙の法則の中で、地球の営みの一員として急がず歩んで来たことがわかる。
 それが今から2700年ほど前という最近に「貨幣」を誕生させたことで、一気に意識の中にある「同じ=交換」という機能を強く認知するようになり、次々と交換を行い人工物の都市を作り上げ金がモノを言う世の中に陥り今日に至った。と書いた。

「感覚」に依存して生きる動物と「意識」が強い人間

 動物は「感覚」に依存して生きているので、全てに「違い」を捉えているとされるとされる。
ちなみに、犬の嗅覚の能力は人間の1万倍あるとされ徹底的に違いを嗅ぎ分けることが出来なければ、生きていくことが出来なかったからだとされる。
 感覚から入ってくる第一次印象を「感覚所与」と言いうが、犬や猫などの動物は「感覚所与」を使って生きている。
 人間は動物のように感覚が優れなかったためか脳機能である「意識」を発達させ、火をおこし道具を作り洞窟の中で暮らして来た。
 人間の意識特有はモノを「同じ」と認識出来ることだと書いた。
例えば、リンゴは、赤くても、青くても木になっていても、テーブルにあってもそれぞれに違うにもかかわらず、同じリンゴとして認識する。
人間が動物と違うのはこの意識に「同じにする働き」があることで、だから、言葉が生まれたとされる。
 人間の子どもは感覚のほうが強いが、次第に意識のほうが強くなっていく様で人間の感覚優位の時代は中学生くらいで決定的になる様だ。

動物には「等価」も「交換」も理解できない

 チンパンジーと人間の遺伝子の98%は同じで違いは2%だけと言われるが、動物は同じ(交換)ということを理解できないから経済活動というものがない。
 人間だけが、「交換」することを思いつくのだが、そこに「同じ」という言葉がつき「等価交換」をして来た。
そして、交換する道具に「貨幣」を発明したことで、どんどん交換を行ってきた。
貨幣は「等価交換」のために使われるが、動物には等価も交換も理解できないから貨幣を理解することが出来ず、猫に小判と昔の日本人はその本質を見抜いていた

チンパンジーと人間は5歳までに分かれる

 ある研究者が、自分の子どもと同じ時期に生まれたチンパンジーを兄弟として育て、発育の状況を調べた。
3歳頃までは、どんな能力においても人間はチンパンジーより劣っている。しかし、それから5歳位までの間に、人間の能力は急激に伸び、チンパンジーを凌駕したので、どのような変化かが起こったのか認知科学者が調べた

(画像は、ガラバイア記事より引用)

人間は5歳頃に起こる交換「相手の立場に立つ」

 人間の3歳児と5歳児の集団をつくり、それぞれ実験する。
部屋に大きな箱AとBの2つを起き、お姉さんがやって来てAの箱に人形を入れ出て行く。
その後、中年の女性がやって来て、Aの箱の人形を取り出してBの箱に入れて出て行く。
最初のお姉さんが人形を取り出すために戻って来たが、お姉さんはどちらの箱を開けるかと尋ねるテストだ。

 3歳児はBの箱と答える。これは自己中心的、自らの立場・視点からしか物事を見ることが出来ないということ。人形はBの箱に入っているので、当然に知っていなくてはならないという、実力主義、腕力主義の世界。
 ところが、5歳児は、お姉さんは人形がBの箱に入れられことを知らないので、Aの箱を開けるだろうというお姉さんの立場に立って推測することが出来るのだそうだ。このように、人間は5歳位になって初めて立場の交換、ということが出来るようになるようだ。
心理学者はこれを「心の理論
」と呼ぶが、養老先生は「立場の交換」という表現を使っている。

【養老】「私たちが他人を理解できるのは、せいぜい、人の立場に立ってみることではないでしょうか。人の立場に立つということ、人を理解するということ、は自分自身を理解してなければ出来ません。人は動物と違って他人の立場に立つことが出来ます。そこから出てくるのが、おそらくは皆が『平等』であるという民主主義の考えでしょう。
 人は皆、違いがあります。大きい人、小さい人、丈夫な人、弱い人、様々です。感覚からとらえる限り平等であるわけがありません。しかし、人間はそれぞれの立場を交換することを出来るということが、人間の社会を基礎づけています。
このように、人間は経済活動をし民主主義の考えをつくりだしました。人間は基本的に意識を持ち、「同じ」という能力を持ったものであるということに収斂していきます。」(七十七ビジネス振興財団「設立20周年記念講演会」
2018)

意識が生み出した等価交換

 この様に、人間特有の「同じ」という意識機能の「等価交換」が貨幣を発明した根底には、相手と自分との交換(同じ)が可能だと理解し、相手の立場に立つ平等を持ち合わせたからだろう。

仏教誕生-世の中の変化に対応した新思想 人々の身になって考える

【中村】「これは人々の身になって考える。つまり別の人の身になって、ものを受け取り、感じ、考える。
そうすると、人々に対して酷いことはできなくなる。人々に対して優しい思いやりを持つことになる。
これが新しく釈尊によって明らかにされた『人間の理(ことわり)』である。その『人間の理』というのは、あるいは『道理』と言ってもいいんですが、インドの言葉では、『ダルマ』と言います。
『ダルマ』というのは、『たもつもの』という意味なんです。
 つまり人を人としてたもつ徳性。もし人が人の道に反したこと、残酷なことを行ったとすると、『あれは人でなしだ』と世間でも言うように、顔だけは人間みたいでも道に外れたことをすること。
 人々を傷付けたり、残酷な扱いをしたりすると、『人でなしだ』と言われる。人としての則(のり)、行いの規範を忘れている人です。
 本当の人間としての道筋ということは、人間を人間としてたもつもの。それが『ダルマ』です。
さらにこれを広げて言えば人間のいろいろな共同体について、皆たもつものというものが考えられます。」

人間社会の現実 「交換」が失敗した困ったちゃんが いかに多いか

 さて、現実はどうだろうか。現在の世の中を見る限り、他人のことなんか知ったことではない、と「平等」や「相手の立場に立つ」とは言い難いと思うのは私だけだろうか。
 特に、5歳の時にこの「交換」が旨くいかないと、幼児期の自己主張ばかりするそのまま大人になると言われ社会的適応障害ともいえる人格になるようだ。
周りを見ると随分といるものだと気が付くのではないだろうか。
 そう考えると、自分と他の人も同じだと思っているのは「脳」が交換を理解しているだけで、しかし、「交換」を失敗した人間もいかに多くいるかということも知っておかないと、「なんであの人はああなんだろう」と悩んでしまう。

悩んでるあなたが、実は正常なんですよ!

こんな人は相手にしない

 対面はもちろんSNSで乱暴な物言いや偉そうな口の利き方をする人がいるが、そういう人はこの5歳の時に「交換」が出来ないまま身体だけ大人になった人なので、そういう人だと理解し相手にしないことだとされる。
まともに相手をするとこちら側が相手に引き込まれて病んでしまう。

逆に言えば、少し話をして「乱暴な物言い」「偉そうな口の利き方」であれば、その人は5歳の時の交換が旨く行かなかった人
なんだと確認することが出来る。

「交換」で貨幣を誕生させたが、金がモノを言う世の中にした

 拙稿、「③仏教誕生-世の中の変化に対応した新思想」で書いたが、貨幣が誕生しすぐに金がモノを言う世の中になったとされる。

【中村】「人が金を持ち富んでいるならば、富裕であるならば、その人は最下層の隷民つまり低い身分の出身であろうとも、そこへ王族でも、バラモンでも、庶民でも、労働する人々でも、みんな集まって来て、それでお辞儀をして、彼のために気に入るような言葉を述べる」と文句が残っているとされる。(中村元講義、NHKこころの時代/ブッダの人と思想/われ一切世間に違わず)

 つまり、人類は貨幣を誕生させてすぐに金がモノを言う世の中にしたということは、簡単に目の前の事象にブレる生き物だということだろう。
まさしく金は魔物で、相手の立場に立つどころか、自分の利益のためには相手の立場を利用してしまう愚かな人類だと言うことなのだろう。
 この様な社会的な変化が起こると新しい思想も現れ、従来の観念からみたらとんでもないことを主張する思想家もたくさん現れたとされる。
 例えば、「快楽主義」であるとか、「道徳否定主義」であるとか、「運命論」、「唯物論」であるとか、あるいは反対に「世の中は偶然であまり考える必要はないんだ」と言い出す人も出て来た。と中村元先生は、NHKこころの時代/ブッダの人と思想(われ一切世間に違わず)で講義されている。
 そうなると、当時の人々は拠り所を失い勝手なことを主張する思想家たちの説に惑わされてしまう。
これは現代も同じで、世の中が乱れるほど各人が様々な主義主張を言い合っており何にも変わってないことになる。

拠り所を失った人々の前に釈尊が登場する。

【中村】「拠り所を失った、そういう社会情勢の中に釈尊が現れ出て、それで人間の生きるべき道を説き示したことで人々は新しい拠り所を得ることになった。これが仏教の現れた社会的基盤でございます。(中略)平等ということを仏教では説いたわけです。人間は人間である限り、みな平等だと(中略)つまり人間は、要するにみんな平等なんだから平等ということを大切にしてお互いが認め合わなければいけない。そこには当然友情とか、友愛とか、そういう心の働きというか、その働きかけが大切なんだということだと。」(同)

慈悲とは温かい心掛け。新しい心

【中村】「新しい社会では、新たにいろんな人間関係が出てきますから、その基本原理となるものは、それは我々日本人に知られている言葉で慈悲』ですね。仏教が、『慈悲』を説くということは我々は存じてますが、人間の徳性のうちで何がもとかというと、『慈悲』というんです
『慈悲』の『慈(じ)』というのは、『慈(いつく)しみ』という意味ですね。それから『悲(ひ)』というのは、『憐(あわ)れみ、同情』ということです。(中略)『慈悲』とは、要するに『温かい心掛け。新しい心』
ということです。
 つまりいろいろな人と交渉をもつわけですが、相手の身になって思いやる、ということですね。これがまったく新しい教えとして登場しました。
当時の人たちも、これからの社会は人々に対する温かい心をもって対しなければならないと気づいたから、それを説いた釈尊のもとへみんなが集まって来たわけです。」(同)

 この解説からも、養老先生の言う本来人類は、「相手の立場に立つ」生き物なのに、金という交換する手段を得てから金に執着し、相手の立場に立つどころか自分さえ良ければ、になったのだろう。
だから、釈尊は、人類が本来持ち得ている「相手の立場に立つ」意識を正しい方向に使いなさいと説いたのだと考える。

今を生きる仏教

 貨幣が誕生し貨幣経済が進展するとともに釈尊の教えを求め広がったことについて、中村元先生は次のように講義されている。「NHKこころの時代 ブッダの人と思想・善き友とともに/中村元講義」

【中村】「新しい実業家たちにとっては、等価交換ということが実現しなければいけません。値段の同じものは同じ値段で交換されなければいけない。それカーストが違えば、高く売るとか、安くするとかということがあったら、公平な商業というものは成り立ちません。
だから仏教の理想というものは、ちょうど当時の新興商工業者にピタッと合うところがあった。それは自由平等の精神だと思います、今日的な表現ですけどね。
『平等』というのは、仏教の言葉ですが、『自由』というのは、妨げがないことでしょう。だから仏典では『無礙(むげ)』とか、いろいろな言葉がございますが、つまり新興商工業者が活動するためには、地域による妨げがあっちゃいけないわけですね。そして如何なるものでも、価格が同じものは等しい価格で交換される、ということでなければ、商業は成り立たないわけでありますね。相手を見て定価を変えるというようなことでは具合も悪い。」


 要するに、人間の脳(意識)は、「同じ」=「相手の立場に立つ」を良くも悪くも都合よく使って生きており、いくら交換する意識を持った人間でも自分に都合よく騙しの交換をしては商工業は成り立たたない。
 当時既に騙しの商売もあったのだろう。釈尊はこれを「無明(むみょう)」と説いた。無明とは、煩悩(ぼんのう)にとらわれ、仏法の根本が理解できない状態。現代語では「バカ」だということになるか。