北枕のウソ!

釈尊の教えは思想

㉝ インドの人は北枕で寝ている

 私が勤め人時代に海外担当部署にいたインド人に、「日本人は北枕じゃなく、良くない南枕にして寝てるよね」と言われ、初めて「北枕伝説」のデタラメを知ったものだ。
ご存じの通り、北枕とは北の方角に枕を置いて眠ることを指す言葉で、日本国内では北枕は縁起が悪いと言われて来た。
 それは、日本仏教において亡くなった人を北枕で寝かせるからと考えられているからで、それは釈尊が頭を北にした状態で亡くなったと伝えられたのが発端の様だ。
私も子供の頃に良く言われたものだが、その時は、「方角に良し悪しがあるものか」と捻くれた子供だった記憶がある。
 4000年以上の歴史を持つ中国の風水では、北枕は金運・健康運・恋愛運の上昇につながるといわれており、仏教が中国を通り日本に伝えられる際にそこはスルーされたのか?と疑問になった。
何故に日本だけが忌み嫌われるものになったのだろうか。
ましてや、仏教が伝わってから既に1600年ほど経つのに誰も疑問にすら思わなかったのか?
誰もインドに確認に行くこともしなかったのか?
そう考えると、それを商売にしている連中はトンデモナイな!と腹立たしくさえ思った。
さらには、日本人ほど「前からそうだ」の国民はいないと痛感したものだ。

風水は中国で発祥した環境哲学であり、自然と人々の暮らしをより良いものにするための智慧として受け継がれてきたもの。

 私が師と仰ぐ植木雅俊先生も、「仏教、本当の教え(序章 日本における文化的誤解)」の中で、次の様に書いている。

北枕の文化的誤解

【植木】「筆者が、サンスクリット語を勉強しなければならないと思ったきっかけの一つは、子どものころから抱いていた疑問に関係している。
筆者は、小さいころから、あえて北枕で寝ていた。北枕で寝ていると、祖母が飛んできて、布団の向きをパっと南向きに変え、『縁起でもない』と叱った。
筆者は、祖母がいなくなると、また北向きに戻すというふうに抵抗していた。
『人が寝る時、頭を北に向けることぐらいで、とやかく言うような、その程度のものが仏教であるのならば、僕は仏教なんか信じない』というのが筆者の考えだった。
30代後半になってインドへ行く機会があった。インドの知識人の家とか、学者の先生方の家を訪れたとき、寝室に通されるとみんなベッドの頭が北向きになっていた。
筆者が宿泊した五つ星のホテルのベッドもそうだった。インド人はみんな北枕で寝ていたのだ。
『これは縁起が悪い寝方ではないですか』と尋ねると、インドの人たちから『何を言うのだ。これが、一番いい寝方なのだ』と言われてしまった。
」(同)

インドで最もいい寝方が、日本では縁起の悪い寝方にされた。

【植木】「『涅槃経』という経典に釈尊が亡くなられるシーンが描かれていて、『そのとき、仏陀は頭を北に向けて、顔を西に向け、右のわき腹を下に向けて休まれていた』といった文章が出てくる。
それを読んだ日本の仏教者が、頭を北に向けて寝るのは、人が亡くなるときの寝方だと勘違いして、それを『北枕』と呼んだ。
ところが、インドでは北に理想の国が、南に死に関する国があると考えられていて、インド人にとって頭を北の方角に向けて寝る北枕は生活習慣だったのだ。
釈尊も、生活習慣として日ごろから北枕で寝ておられたのであろう。亡くなるときもそうだった。
それなのに、日本人は釈尊の入滅シーンの描写を見ただけで、北枕は人が死ぬときの寝方だと勘違いした。
(同)

中国には北枕という言葉はない

【植木】「明治大学教授の張先生に確認したら、中国には北枕という言葉自体が存在しないということである。」(同)

蓮の花は最もめでたい花

【植木】あるいは、日本で結婚式に蓮の花を持参したらどうだろうか。『縁起でもない』と怒られるに違いない。しかし、インドでは多くの人が蓮の花を持参する。最もめでたい花だからだ。 これも、著しい文化的誤解である。 具象的な生活習慣ですら。このようなものすごい誤解が生じている。ひょっとしたら、精神面を論じて抽象度の高い仏教思想の根幹部分には、さらに誤解が生じているのではないかということが、筆者の根強い疑問となった。」(同)

鵜呑みにする日本人思考

 植木先生だから、文化的誤解という表現をされているが、そんな立派な話ではなく、何でもかんでも鵜呑みしただけの話だと私は考えている。
 漢字や仏教はじめコメや着物など大陸から文化が伝わったが、日本人は全て鵜呑みにしたのではないかと思うことがたくさんある。

日本独自で文字を作らなかったツケ

 アルファベットは26文字で成り立っており、DOG(イヌ)を逆にするとGOD(神)になる。
漢字はと言うと、例えば「重」は様々な読み方で覚えるのが大変だ。(ジュウ、チョウ、おも、え、しげ、あつ、ふさ、…)
これは中国の何処の地域から伝わったかの発音の違いだが、日本語にする際に独自のことばを作らないで鵜呑みにしたためいろんな読み方になった様だ。
漢字の音読みは、伝わった際に、「〇〇と聞こえた」ものをそのまま日本語にしたというからこれまた信じられない話だ。
恐らく、「いまこう聞こえたよなぁ~」「ワシもそう思う!」だったのではないだろうか。


 余談だが、ラムネもレモネードが伝わった際に、”ラムネ”と聞こえたからだと言われる。

思想的に自立してない日本人

 自己を持たない日本人は確かめようともせず全てをそのまま鵜呑みにして来たのだろう。
さらには、鎌倉時代以降、明治まで武家社会が続いたので、権力争いの陣地取りに終始してきた弊害ではないだろうか。
現在の政治も権力抗争に明けくれ国民不在になっている所以だと思うのは私だけだろうか。
我々は学校の歴史の授業では、誰それが執権に就いたとか城に関することばかり教えられ、当時の庶民の暮らしや文化など学ぶこともない教育を受けて来た。
さらに、明治維新になると今度は西洋思想をそのまま受け入れてしまった様だ。
敗戦がチャンスだったが、今度は米国被れになり今日を迎え脳化社会の中で暮らしている。