貨幣経済がはじまる-ネコに小判

釈尊の教えは思想

③ 等価交換-ネコに小判

イコール(同じ)の理解が等価交換を生む

 貨幣が誕生してからは、金がモノを言う時代、つまり現代社会の構図となんら変わらないことを考えると、この貨幣誕生がその後の人間の生き方を変えたことなる。
脳で創造した社会(脳化社会)を築くことになると養老孟司先生は人間と動物の分かれ道は、人間だけが「イコール(=)」を理解したことで全てが貨幣と交換できると考えるようになったと指摘している。 
この人間だけが持ち合わせる「イコール(=)」については、養老孟司先生の著書「遺言。」に書かれているので見てみたい

動物には「同じ」はない

【養老】「『朝三暮四』という四字熟語はご存知だろうか。
サルに『ドングリを朝3つ、夕方4つやる』と言ったら、サルはイヤだと言う。そこで『じゃあ朝4つ、夕方3つならどうだ』と言うと、『それでいい』とサルが答えた - 目先の違いにとらわれて、実際は同じであることに気付かないサルを愚かだとヒトは考える。
しかし、よく考えてみよう。『朝3暮4』と『朝4暮3』は本当に同じと言っていいのだろうか。
ヒトは『合わせて7つだから一緒じゃないか』と考える。でも、もしもサルが『朝食重視派』だったなら、『朝3』と『朝4』の違いは大きいかもしれない。
ヒトは往々にして、いろんなものを『同じ』だと考える。動物は感覚をもとに動くので、細かな『違い』に敏感で、『同じ』だとは考えない。」(養老孟司著『遺言。ネコはなぜ小判の価値がわからないのか』p52-53)

 実は、ここにヒトと動物の本質的な違いがあらわれている養老孟司先生は指摘する。
養老先生は著書『遺言。』の中で、ヒトと動物の違いについて考察している。

まず、「動物はイコールを理解できない」ということ。この違いから、ヒトと動物は別々の道を歩むことになったというのだ。

以下、同書をもとに解説する(引用は『遺言。』より)。
養老先生は、『動物の意識にイコール(=)はない』という。
「小学校の算数で3+3=6などと習う。これがわからなかった人はほとんどいないであろう。

この程度の計算なら、チンパンジーだって簡単にできる。でもそれができるからチンパンジーが『=』つまり等号を理解しているかというと、じつは理解していない。私はそう考えている。
 たとえばある方程式を解いたら『a=b』となったとしよう。

人は『aとbは同じなんだな』と大抵は理解する。でも、それなら『b』という字は要らないじゃないか、と考える人もいるのだ。だって見るからに同じものではない。ヘリクツを言うな、と言うかもしれないが、実際にここでつまづくヒトもいるのだ。(中略)
a=bならば、b=aということも、大抵のヒトはわかる。これを数学基礎論では『交換の法則』という。これを動物は理解できない。

ネコがキュウリをくわえて、サルがウサギの死んだのを拾ってきて、あそこの市場で交換していた。そういう状況を見たことがありますか』そう、動物は『=』が理解できないから、交換に向かない。
『交換』が理解できると、次に何ができるか。交換にさらにイコールを重ねることが可能になる。
これを等価交換という。そのための道具がお金である。お金を使うと、あらゆる商品がお金を介して交換可能となる。あなたの労働が給与やアルバイト代になり、それがお昼のカレーになったり、中古のパソコンになったりする。これって、考えようによっては、メチャメチャだと思いませんか。なぜ労働がパソコンに変化するのだ。

動物には「同じ」がないから猫に小判

 動物はこれが理解できない。うちのまる(飼い猫)に1万円札を見せると、しばし臭いを嗅いで、すぐに寝てしまう。これを昔の人は『猫に小判』といった。動物はお金つまり等価交換をまったく理解しないことを、昔の人だってよく知っていた

 このように「本来は別のものでも『同じ』にしてしまうのが人間の意識の特徴だ」と養老先生は同書の中で解説をしている。
 そして、
 「この『同じ』にしてしまうという意識があるからこそ、私たちはいろいろなモノを『同じ』ジャンルに分類することもできる。『リンゴ』『ナシ』『ミカン』は『クダモノ』だ、『アジ』『イワシ』『マグロ』は『サカナ』だとヒトは考える。これもまた動物から見たらずいぶん乱暴な話である。
       (養老孟司『遺言。ネコはなぜ小判の価値がわからないのか』p52-53)

「意識でイコール(=)を理解した人類は彷徨いを始める」

 人間には、イコール(=)を理解する意識があるが、「動物の意識にイコール(=)はない」と養老孟司先生は主張する。
人間だけが持つ、この概念は貨幣の発明につながり等価交換を可能としたが、そのことで人間の脳だけが織りなす様々な思い込みが人生を彷徨い続けることにもなった。
 養老先生は、
「概念がなぜ乱暴かというと、あなたと私は違うのに『同じ』、人としてくくってしまうからです。
これができるのは人間だけ。動物にはできません。『同じ』は人間と動物を分けるキーワードです。」
(養老孟司著『遺言。ネコはなぜ小判の価値がわからないのか』)

「同じ」は相手の身にもなれるが差別も生んだ

 この「イコール(=)という概念から生まれるのが人間は相手の身に立って考えることも可能としたことだ。と同時に、「相手も自分と同じ考えだろう」という認識が様々な差別を生むことにもなった。
この相手も同じだろうという認識からは、相手が自分と違う考えや行動をとれば、「あいつは変なヤツだ」と決めつけ差別してしまう意識が起こるのは人間だけで、まさにイコール(=)でものをくくることで起こる弊害にもなった。
動物は同じ種であっても全てが違うと見ているので、もちろん種が違うから差別するなどの認識はないとされる。
 考え方に限らず、生まれ、育ち、肌の色、見た目、老若男女などで差別をするのは、我々人間だけが持つ「自分と同じ」という意識から生まれる「イコール(=)」現象なのだ。

釈尊は「同じ」は慈悲だと説いた

 この後、釈尊が説いた教えの「慈悲(慈しみ)」について書く予定だが、中村元先生は、「NHKこころの時代/ブッダの人と思想:われ一切世間に違わず」の番組で、「これは人々の身になって考える。つまり別の人の身になって、ものを受け取り、感じ、考える。そうすると、人々に対して酷いことはできなくなる。人々に対して優しい思いやりを持つことになる。これが新しく釈尊によって明らかにされた『人間の理(ことわり)』」だと解説しているのは、我々の脳は、相手も自分と同じだろうと認識してしまうことで起こる様々な間違いを正すために、人間だけが持つ意識「イコール(=)」(同じ)であれば、平等でものごとを考え相手の身になって行動しなければならないという慈悲の教えを説いたのだと考える。
 このブログの結論は、釈尊は養老孟司先生が主張する「脳が織りなす彷徨い」から抜け出す方途を最先端科学を用いずに瞑想だけで覚り、我々が仏教思想を学ぶことで彷徨いから抜け出し豊かな人生を送ることが出来るヒントがあると気が付いたので、この後ゴールに向けてどんどん書いて行きたい。

感覚で『違う』ものを  意識で『同じ』に扱い始めた人間

「同じ」を使いこなす人類

 さらに、養老先生は、セミナーで以下の様な話をされている。
自分が変われば世界も変わる
「もう少し、この話を広げてみましょう。現代の私たちは無意識にこの『同じ』を使いこなしていますが、かつては『違う』ものを『同じ』として扱っているという意識が明確にあったのではないかと思います。


 皆さん、ちょっと昔を思い出してみてください。
 英語を習った時に『the apple』『an apple』定冠詞と不定冠詞の違いを教わりましたね。ここにも感覚と意識の違いがよく出ています。この違いは英語ができてきた時にはもうあったはずです。『the apple』はあのリンゴ、そのリンゴ、このリンゴ、具体的なリンゴです。『an apple』はどこのどれでもない一つのリンゴ。これは頭の中のリンゴ、意識の中のリンゴです。『an apple』と言えば、英語を解する人間は全員、頭の中にリンゴを思い浮かべることができます。こんな芸当は動物にはできません。
 『同じ』でないとできないこともあります。その一つがお金です。お金は等価交換です。
等価も交換も『同じ』ってことです。同じ価値のものを交換すること。あれとこれを取り換える。それを便利に数的に表したものがお金です。
これを話すと数学の基礎の講義になってしまいますが、簡単なんですよ。a=b、b=a。これを『交換の法則』と数学の基礎で言います。aとbは感覚では違うでしょ? それを『同じ』と考えるってことなんです。」
 
(生き方を語る「自分が変われば世界も変わる」 阪急生活楽校×朝日新聞Reライフ、2017.07.31)

「同じ」と思っているが、我々の細胞でも 7年たったら全部替わる

 「皆さんは、私は私、どれだけ時間がたっても一貫して『同じ』私と思っていませんか?
とんでもないですよ。現代医学では、7年たったら分子は全部入れ替わっています。
同じ細胞をつくっている分子が全部入れ替わるんです。7年に1回、100%替わる。
私なんか、もう11回全とっかえしているんですよ(笑)。7年に1回、部品を全部取り換えて11回たった車と同じなんですよ。
 『方丈記』の作者、鴨長明はこれを言っていましたね。『ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』。そこまではいい。そのあと何と言っているか。『世の中にある人とすみかと、またかくのごとし』。人も町も鴨川と同じ。あっという間に変わる鴨川の水と人間が同じだと言っています。

 物質とか知らないのに言っている。わかる人はわかっていたんだなと思います。
意識の世界にいたら『同じ』自分なんですよ。意識って『同じ』を作る働きですから。だけどもとの自分ではない。ピンとこないと思いますけれど、暇な時にじっくり考えてみてください。

『違い』を認め合えば 人生がラクになる

 「人間と違い、感覚で生きている動物は、概念でくくって物事を『同じ』と見ることができません。
例えば犬をこの講演会場に連れてきたら、おじけづいて逃げ出します。全く違う生き物が何百もいたら怖い。当然です。
 人間だけが感覚で入ってきたものを無視して、言葉にして『同じ』を作り出せる。

だからこそ人は相手の立場に立って物事を考え、共感できる一方で、『違い』を素直に認め合えず、排除したり苦悩したりする。
 私たちはもともと違うんです。うちの猫だってそんなことは知っています。
そう思ったら人生、ラクになりませんか。

 (生き方を語る「自分が変われば世界も変わる」 阪急生活楽校×朝日新聞Reライフ、2017.07.31)

『働くことと脳にとってのお金』-お金を使うのはヒトだけの特徴

 また、別のセミナーでは、
「お金というのは、ものを同じにする道具です。『金で買えないものは無い』というのは、価値を等しくできないものは無い、交換できないものは無いという意味です。同じということが分かるのは、ヒトだけです。脳がやっていることは、五感で入力し、脳の中で演算して、運動として出力する、この3つだけです。
 例えば、私の感覚がここにいる皆さんの違いを捉え、それが『同じ』人間だと演算する能力があるので、安心してお話しできているわけです。

感覚は『違う』、頭の意識は『同じ』という世界を作っている

 感覚は『違う』という世界を作り、頭の意識は『同じ』という世界を作っているのです。
 ものが感覚から脳に入る時、すべて電気信号に変換されます。脳内を走り回っているのは神経細胞の興奮だけです。
そこでの違いは、単位時間当たりの神経細胞の興奮の回数だけになってしまいます。
単位時間当たりに1回興奮するのを1円とすると、脳内ではすべてがそれで交換できます。
お金の動きは、脳で信号が動きまわっているのとそっくりです。」
(中略)
「初めは物々交換で、交換の行き着いた先がお金です。すべてのものを交換可能にしたのがお金です。
お金とは、物と物の価値を同じにする等価交換の道具です。
 同じということが理解できないと、交換はできません。
同時期に生まれたわが子とチンパンジーの子を一緒に育てて、成長過程を比較した米国の人類学者がいました。人の子は4歳ごろになると相手の心を推測し、自分を相手の立場に置いてモノを考えるようになりますが、チンパンジーは一生それをしません。突き詰めると、意識にある『同じ』という働きだけが人を特徴付けているのです。でも、それ以外は動物のほうが利口ですよ。」

(拙稿30.5歳で起こる「立場の交換」参照のこと)

人類学者のレヴィ=ストロース『人間社会は交換から始まる』

 「人の全身の細胞は毎日入れ替わっていますから、人はひたすら変わっているのです。
一生変わらないのは血液型ぐらいです。皆さんは、1日会わなかったらすっかり違った人になっているかも知れません。
それを『私はずっと同じ』だと思っているのは、現代社会に毒されているだけです。そんな人が増えてくると、世の中は一向に動かなくなってしまいます。お金が自分のところにたまっていればいいという人が増えた状態を、不景気と言います。それを変えることができるのは皆さんですよ。」
(お金を使うのは、「同じ」と認識するヒトだけの特徴 金融教育フェスティバル2010)