釈尊が説いた良き妻とは

釈尊の教えは思想

⑯ 良き妻とは

 仏教の教えのような精神で家庭生活を行なっていけば、破局は相当に食いとめることができるのではないか(中村元)
 前回の拙稿、「良き夫とは」に続いて、今度は妻に対しても説かれているので、中村先生の解説をみることにする。

第一に、仕事をよく処理すること。

「妻が家庭内の仕事をうまく処理してくれるなら、夫は外にあって安心して活動することができるのです。」(中村元/原始仏典を読むp310)

 これが夫を助けるゆえんだった昭和時代から、共働きの現在はともに”うまく処理する” 必要が出てきているのではないだろうか。

第二に、眷族(親族)、仲間をよく待遇すること。

「これは当時の家は使用人などを使っておりましたから、その眷族、身内をよく待遇するという意味です。『よく待遇する』ということばは『よくまとめて掌握する』という意味をも含めていて、なかなか味わいが深いのです。主婦が一家の中心になってまとめていくことをいいます。これは男性である主人以上に、主婦の特に心すべきことになっております。 」(中村元/原始仏典を読むp311)

 これがいわゆる”内助の功”になるが、共働きの現在では昔話になってしまった。しかし、その奥にある慈悲の精神は変わらないだろう。

第三に、道を踏みはずさないこと。

「これは先ほどの夫の場合と同様に、自分の主人以外の他の男性を心の中でさえも求めないというように、非常に精神的な意味に解すべきものです。『姦淫しない』ということは、夫婦の両方ともに要求されています。
それは、結婚生活において最も大切なことであるので、後ほどお話しする在俗信者のために規定された五戒の一つとして特に取り出され、『不邪婬戒』となっております。
ここでおもしろいことは、自分の夫のことを『主人』と呼んでいることです。妻が夫のことを『主人』と呼ぶのは、日本だけのことではなく、古代インドから現代のタイに至るまで行なわれているのです。」
(中村元/原始仏典を読むp311)

 この精神は現在でも心に刻むべきことだろう。

第四に、集めた財を保護すること。

「集めた財」というのは「農耕・商業などをして集めた財」のことです。財を集めるのはむずかしいが、散ずるのはやさしい、ということです。(中村元/原始仏典を読むp311)

 これも現在でも生きる教訓だろう。

第五に、なすべきすべての事柄について巧妙にして、かつ勤勉であること。

「『巧妙』とは『粥や食物をつくることなどに巧みである』ことをいうのだと解されています。妻が夫の収入でうまくまかなっていくということは、なかなか骨の折れる仕事であり、古代インドでも事情は同じだったのに違いありません。収入の範囲でむだのないように適宜に処理することを言っているのでしょう。」(中村元/原始仏典を読むp312)


 これは旦那の収入だけでやりくりしている主婦の苦労を言っているのだろう。昨今では、散在する妻もいる夫婦間では夫の苦労も目に浮かぶ。

 最後に中村先生は、家庭について以下の様に述べられ、西洋思想が日本人にもたらす家庭の破局に警鐘を鳴らされている。
【中村】「仏教では、こういう意味での家庭の倫理を説きました。これが南方アジアの仏教諸国では現在なお生きておりまして、これらの仏教圏では割合に離婚が少ないのです。 法律的には認められているのですけれども、その実例が非常に少ない。これは機械文明の発展している他の国々と比べてみるとよくわかります。
日本なんかも近代文明の発展とともに、家庭はだんだんくずれやすくなってきています。ことに都市においてその傾向が強いようです。しかしこれは問題だと思います。
ことにアメリカは極端でこれは人ごとじゃないのです。今の日本の大都会も大体そういう方向へ向っているではありませんか。
私、以前にフロリダ大学でちょっと一学期ほど講義したことがあります。そのとき、 学生に、東洋思想について自由にレポートを書かせたのです。そうしたら、ある学生 は、「アメリカは日本から何を学ぶべきか」というレポートを書いたのです。おもしろいテーマだと思って注意して読みましたら、その中でこういうことを言っているのです。アメリカの家庭というものは非常にくずれやすい。これは子女の教育のためによくない。それに比べて日本の家庭は安定しているというのです。そういわれるとちょっとくすぐったいのですけれども、しかしともかく、いま申し上げたような仏教の教えのような精神で家庭生活を行なっていけば、破局は相当に食いとめることができるのではないかと思うのであります。


 都市集中は核家族化を生んだと養老孟司先生は警鐘を鳴らされており、「排除の果てに」という言葉を貼っておきたい。