仏教には「神」と「自分」の考えはない

釈尊の教えは思想

㊼ 釈尊は西洋的な倫理観を説かず (植木雅俊)

 人間は神が作ったもので、その人間と対峙する「自然」は、人間が支配するものであるという西洋思想がいつの間にか日本社会にもまん延してしまった感じがする。
だから、どんどん自然を破壊し人工物を作り続けているので、予測のつかない自然災害に見舞われているのではないかと思うようになった。

絶対神に対する約束、契約が西洋思想

【植木】「釈尊が『西洋的な倫理観を説かなかった』というのは、 少し説明が必要であろう。
西洋における倫理は、まず天地を創造し、生き物を産み出し、人間を創り出した絶対神のゴッド(God)が前提となっている。
その絶対神に対する約束ごと、契約として、人はこうしてはいけない、ああしてはいけないという倫理が成り立つ。

仏教には「神」と「自分」という考えはない。

 仏教は、天地創造の神とか、人間や生き物を創り出した神様というのは立てない。

自分が嫌なことは他者にもするな

 では、その仏教でどういう倫理が説かれたかというと、『私は人から危害を加えられるのは嫌である。ということは、ほかの人も嫌だろう。だから私はほかの人にこういうことをしないようにしよう』と、単純にそれだけなのである。

原始仏典には、次のような言葉が見られる。

すべての生きものは暴力を恐れる。すべての生きものは死に脅える。
わが身に引き比べて、殺してはならない。また他人をして殺させてはならない。(『ダンマパダ』)
「彼らも私と同様であり、私も彼らと同様である」と思って、わが身に引き比べて、殺してはならない。また他人をして殺させてはならない。『スッタニパータ』)


 自他が不二であり、「わが身に引き比べて」、嫌なことを他者に対してしてはならないし、 喜ばれることを他者にしてあげるべきだというのである。ここには、神様は出てこない。

神様のために人を殺す

 もしも、ここに神様というものを介在させるならば、「神様のために人を殺す」ということは正義であると考える人が出てこないとも限らない。ということは、神様が目的で、人間が手段化されるのである。
 仏教では、神様なしに、人間対人間という現実の関係において倫理が説かれた。

そこにおいては、人間が手段化されるのではなく、人間が目的であったわけだ。仏教では、そういった倫理が説かれた。」(仏教、本当の教えp42-3)

仏教国では戦争の歴史がない

 未だ、イスラム諸国で戦争が続いており、また米国などが戦争を起こすのも根底にはこの「神様のために人を殺す」ことが正当化さているからだ。
仏教国では戦争の歴史がないのも注目してほしい。

西洋の「人間中心主義」の危うさ (養老孟司)

人間は自然であり高度なシステム

【養老】「人間を自然として考えてみる。つまり高度なシステムとして人間をとらえてみた場合、それに対しては畏怖の念を持つべきなのです。
それは結局、自分を尊重していることにもなるのですから。
ここで、さらにこんなふうに言う人がいるかもしれません。じゃあ俺は自を大切にする。でも俺以外の人間を壊すのはどこがいけないんだ」と。
実際、どこかでそう思っている人は多いかもしれません。しかし、単純な話で、自分一人で生きていけるかというとそうではない。
他人という取り返しのつかないシステムを壊すということは、実はとりもなおさず自分も所属しているということなのです。

自分も自然の一部だと理解していない

「他人ならば壊してもいい」と身勝手な勘違いをする人は、どこかで自分が自然と言うシステムの一部とは別物であると考えているのです。
「人間中心主義」が危険だと私が思う理由はここにあります。カトリックの場合、どこか仏教みたいな土俗的なところが感じられる面があった。聖フランシスが鳥と話をしたりするような場面のある逸話からもそれを感じます。
中世のカトリックというのはこういう部分を含んでいたのです。

誤ったルネッサンス思考

 ところがルネッサンスになると、「人間復興」とか何とか言い出した。人間中心になってしまう。
それは実体としての人間の持つ複雑さとかそういうものとは別に、勝手に意識だけが人間のすべてだと考えるようになったということです。
そして、自分の思い通りになることが一番価値のあることだという思想を、西洋近代文明は押し通してきた。

自分自身ですら思う通りにはならない

 でも、それはおかしな話なのです。自分自身ですら思う通りにはならないことに気づけば、嫌というほどわかることなのです。
どんなに賢い科学者だって、自分の臨終の日は予言できないのですから。
自分自身どころか、女房だって思うようにいかないし、子供だって思うようにいかない。
だからこそ思った通りにロケットが飛んだら嬉しい。しかし、それだけで喜んでいるのはもうあまりにも子供っぽいのではないかと思うのです。

生命尊厳

それでもこう言う人がいるかもしれません。
「人間は殺してはいけないけれど、牛や豚ならいいっていうのか」と。
それについての答えを、仏教はさまざまな形で示してきたわけです。無闇な殺生を戒めてきたのです。 無闇に殺してはいけない理由は相手が牛でも豚でも同じです。
別にベジタリアンになれと勧めているのではありません。私自身は、肉も魚も食べますし、そもそもベジタリアンだって何らかの形で生き物の犠牲のうえで生活をしているのです。
ただ、私たちの誰もがそういう罪深い存在であるという思いは持っているべきだ、と思うのです。
そんなふうに考えていれば、「なぜ人を殺してはいけないのか」なんてことの答えは自ずと出てくるはずなのです。」(死の壁p24-5)

海外ではどうのこうの言うヤツは日本社会の落ちこぼれ

【養老】「だから日本では能力主義、成果主義は基本的になじまないし根付かないのである。日本では社会の構成員を切り捨てず、なんとか騙し騙し使って、全体の平均的生産性を上げようとする社会なのだ。
 フィンランドの教育がどうしたの、アメリカのボーディングスクールがどうしたのと騒ぐバカが巷に溢れているが、所詮、こいつらは日本社会の落ちこぼれであって、それが悔しくて、なんとか話を自分の都合の良い方向に誘導すべく海外の『自分に都合のよい事例』をそこだけ切り取って主張しているに過ぎない。要するに我田引水なのだ。
 社会にとって最も大切なものは信頼であり、だからこそ社会を破壊しようとする不逞の輩は、社会の信頼関係を壊そうとしているだけだ。」(逆さメガネ)

仏教は21世紀に重要な思想

 インドでガンジーとともに二大巨聖と尊敬され、インドの詩人、思想家、作曲家。詩聖のタゴールは、「仏教は21世紀に重要な思想になるでしょう」と残している。

物理学者アインシュタイン
「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教です」「近代科学と両立可能な唯一の宗教です。」

哲学者ニーチェ
「仏教は、キリスト教に比べれば100倍くらい現実的です」「歴史的に見て、ただ一つキチンと論理的にものを考える宗教と言っていい。」

心理学者ユング
「仏教の教えは深遠で、おおよそ合理的である」「これまで世界で見た中で最も完璧な宗教であると確信する。」

歴史家ウェルズ
「釈迦の根本的な教えは、明晰かつシンプルで、現代思想に最も密接な調和を示す。仏教は世界史上知られる最も透徹した知性の偉業であるということに議論の余地はない。」